みんなと違う給食(2)
どこの家庭にも、「これだけはゆずれない」
っていうラインがあると思う。
それが、うちみたいに菜食をしていると、かなりハードになるわけですが。
自然育児の集まりみたいなところで必ず話題に登るのが、
「他の子と違ったことばかりさせて可哀想だから○○は許す」
という言葉。
これをやりだすと、際限なくなってしまう・・・。
可哀想だから、買い食いOK、ゲームOK、携帯OK、塾も行かなくちゃ・・・。
その心理の深層は、子どもが可哀想なのじゃなくて、
・ダメということを強要して子どもに嫌われたくない
・違ったことばかりして、親自身がまわりから浮くのが怖い
ってことなんじゃないだろうか、実は・・・。
そして、まわりの顔色を窺ってばかりで疲れ果て、気づいたときには、自分が本当にしたかったことをちっともできていないことに愕然とするのだ。
この今のハードな星の配置に、こういう問題がやってきた、その意味はたぶん、
まわりに惑わされず、自分の信念を貫けるか
を試されている気がする。
悲しむ顔をみること、不機嫌な顔をみることを恐れて、そのたびに信念を曲げていては、ほんとのハッピーを目指すことが遠くなる。
それに気づけってことなのかもしれない。
いつもみんな同じでタノシイネ
という幻想に惑わされてる場合じゃないのだ。
口先だけじゃなくって、思いを実践するということは多少、こういう摩擦も伴う。
けど、違っていても、みんな素敵だし、楽しく生きて行ける。そう信じて・・・。
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コメント
こんばんは。
以前食堂かたつむりの書き込みさせていただいたあっこです。そのままになってしまい申し訳ありませんでした。読んでいただけたとのこと、ありがとうございます!
とても興味深く読ませていただきました。
現在の自分、そして過去の自分と向き合うような気分になっています。
幼少期「人と違う」家庭環境なのに(玄米菜食、アンチ西洋医学、幼稚園も保育園も行かせてもらえず、学校教育を否定!)、小学校では「人と同じ」を求められ続け…その狭間で苦しかったのを思い出しました。
他と違うことに、思春期親をひどく恨んだ時期もありました。反動でお菓子をたーくさん食べたり、真面目に学校に行き勉強したり(笑)と、親の望まぬことばかりやりました。弟も同じくで、見事お固い勤め人に!
「他と違う」生活を送る中で、子どもが感じるストレスは相当なものです。少しの自由になるお金、そして仲間を得た時に…反動で思いがけない方向に行ってしまうかもしれません。第一の難関は初等教育との折り合い。「他と違う」育児の第二の難関はそこかなあ、なんて感じています。
投稿: あっこ | 2008年6月13日 (金) 01時31分
>あっこさん
コメントありがとうございます♪
私も、幼少期から厳しくピアノを習っていたので、その関係で制限されることがたくさんあり、どうして「みんなと同じ」にできないのかというジレンマはものすごく味わってきた経験があります。
なのい、また同じようなことを子どもにするのかって?
私の願いは、自分も含めてみんなが、持って生まれた素質を花開かせることができたらいいな、というもの。
それには、やっぱり菜食にすることでかなり楽になる面が大きいから、というのがあるんです。
でも、菜食にすることで、頭も体もすっきりして、穏やかな気持ちでいられる・・・そういうメリットに、なかなか気づけないことが多いのではないでしょうか・・・。
他の人からはこういう意識の向け方、あまり教えてもらえないですし。
特に、生まれてからずっと菜食だと、動物性の食品をとって体が重いという経験がないのでよけい・・・。
「人と違う」ことで得られる喜び、ほんとはたくさんあると思います。
でも、他者から評価されることに喜びを見いだしている限り、それはどこにいても難しいかな、と。
これは自分にもいいきかせているんですけど、難しいですね。
とはいえ、「みんな違ってみんないい」という意識の人がたくさん集まっている環境があるなら、そういうところに行きたいという気持ちはあります。
まだ行かせるか考え中ですが、シュタイナー学校などはそれにかなり近いものがあります。
(まあ、これはこれで賛否両論あるし、少人数であることの弊害もありますけど・・・。)
これから、息子の様子などをみながら、どうするのが一番良いか、考えていきたいなと思います。
投稿: あわぽん | 2008年6月13日 (金) 08時49分