自己矛盾をとるか、他者矛盾をとるか(2)
で、いきなり話はとびますが、
子どもの遊びにでてくる勧善懲悪ばりばりの、アニメや特撮ヒーローもの、
あれの何が嫌かという話。
あの世界の中で、暴力や戦いをくわだてる人達は、みんな
「自分は正しい」と思ってやってる。
そして「ワルイモノ」がやっつけられる。スバラシイ。パチパチ。
ってことになってる。
でも、現実の世界はそんな簡単なものじゃない。
子どもの喧嘩ひとつとってもそうだ。
ある子が「Aちゃんにたたかれた。エーン」と泣いていたとする。
ここで、そうかAちゃんはたたいたから悪者、たたかれた子は可哀想。
これで話を終わらせてしまったら、それはこの二人の関係性を点としかみていない。
Aちゃんがたたくに至るまでに、たたかれた子は、それまでに陰湿な言葉でのイヤガラセなんかをやってることだってあるのだ。
その線引き、たとえば、口でいっくらイヤガラセをしてもOK、でも手を出したらNGとかいう価値観は、ほんとにそれが正しいんだろうか。
集団生活では、ある程度おおざっぱに線を引いて、ばしばし切り分けて進んでいかなきゃいけないことも多いと思う。
でも、こんなことが積み重なり、戦争になるのだと・・・。
戦争をする側は、自分たちはひどい殺戮者なんてこれっぽっちも思っちゃいない。
いや、正しくは思わないように自国の国民を洗脳して戦いに行かせるのだ。
なにがそこの国の文化でNGかというのは、ほんとに千差万別なのだ。
なのに、グローバリズムとかいって、西洋のやり方がスバラシイって感じの押しつけ。
正義の押し売り。。。
アンパンマンとか、ゴーオンジャーは正義の味方ってことで、暴力をふるっても良いことになってる。で、それはかっこいいことになってる。
でも、そもそも「わるもの」が存在しないとしたら?
9.11の問題について、いろいろな話をあちこちで聞きました。
もっと詳しいことを知りたい方は検索するといろいろでてくると思います。
だから私は思う。
いつも言う「ワンネス」だと考えるのなら、わるものだって自分たちと繋がっている。
それを攻撃することは、自分を攻撃することに等しい。
博愛主義とかそんなんじゃなくて、とにかく、分けることなんてできやしない。
それがただただ最近強く思うことなのでした。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)










最近のコメント