行動の原動力が、「不安」ではないですか?

巷では、インフルエンザが流行り始めました。

なんとこのくそいそがしい時期に、息子水疱瘡になり、診断してもらうために病院に連れて行きました。

そしたら、インフルの予防接種うつひとだらけでびっくり。

再度、この記事上げておきます。

インフルエンザワクチンは打たないで!

今週の筋トレの全体の空模様にあった言葉。

今は、人が恐怖心や不安感によって物事を選択し続けていて
それによってさらに、恐怖感や不安感が煽られ続けています。
そんな中で、この金星と海王星の重なりは
ある種の楽観を示唆しています。
悲観しすぎ
というのも、非現実的なのです。
だいたい人が後悔するのは、
楽観しすぎたときか、悲観しすぎたときかのどっちかです。
今は多くの人が、悲観と恐怖のスパイラルに陥っていて、
そういうときは、それをうまく使って人を騙そうとする人もいて、
ある種、危険でもあるのだと思います。
そんななかで、この形が
悲観と不安一辺倒の幻影を
逆方向から緩和してくれればいいなあ、なんて思ってしまいます。

注)この形、とは、山羊座に星が5つ、集まる+水瓶座の金星が海王星に重なること

もひとつリンク。

不況をあおってるのは、なぜでしょうか。

小野寺さんのメルマガアーカイブ

このままいくと、アメリカ国日本州ですか。。。

追記:ぴろこさんの日記がシンクロしているので、こちらもリンク。

偽善

(ぴろこさんの、行動力はほんとに素敵です。)

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世代的な使命。

私はあんまりテレビや新聞を読まないので、
その騒ぎ方はよく知らないが、
どうやら世の中は不況で、そんでもってその調整弁として派遣の人たちがまたまた切られ、若い学生は内定を断られたりしてるらしい。

前からずっと思ってるのだが、正社員を採用しないという形で賃金発生を抑える
という大企業のやり方、あとで絶対いたい目に合うと思う。

なぜかというと、ホロスコープ的に言うと、ある特性を持った世代=ある才能を持った世代がごっそり抜けてしまうということは、その部分について弱くなるということだからだ。

地球より遠い星達(天王星、海王星、冥王星とか)は、周期がゆっくりなので、
ある世代はみんな同じところに同じ星を持っているのだ。

どうも、既得権がおびやかされそうになると、この同じ世代達=いわゆるロストジェネレーション世代がいつもしりぬぐいをしている気がする。

自営業で長年やってる友人がひとこと、「ワークシェアリングすれば、こんな問題はないのに」

ああ、そうでしょう、正論です。
でも正しく言うと、とっくの昔に、仕事は分かち合ってます。

というより、この派遣やらフリーターやら、弱い人たちの方が手を動かして汗をかいて働いてます。仕事できないおっさんの方が高給です、往々にして。

つまり、仕事をシェアリングしなきゃいけないんじゃなくて、
マネーの方をシェアリングしてもらわなきゃってことです絶対。

(というわけで・・・まあありえない)

で、こうやって後ろを向いて、既得権の世界に目を向けると、
その少ないパイ争いに暗くなる。

でも、前を向いてみよう。

梅田さんの本から引用ばかりで申し訳ないが、
今時代は、まるで篤姫のように、江戸から明治に切り替わるくらいの、変革期
だそうな。

なので、古い価値観になじめないということは、すなわち新しいところでやっていくのに
向いているとも言えるのです^^

だから、少ない賃金で過剰労働をしいられる、派遣やフリーター、その周辺の人たち、
違う角度からみると、新しい時代を切り開くために、早く目を覚ませといわれてるのかもしれません。

星の配置だけで吉凶は言えない。
だから、こういう世代に生まれたことは、やっぱり何がしかの意味があると思うのだ。

それを考えて、生かしていくこと。

難しいけど、それしか、楽しく生きていくことには繋がらない気がする。

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菜食はワンネスの実感を強める

ワンネスについての続き。

引き寄せの法則が流行っていて、それについて私の友人と話したこと。

確かに、願う対象が具体的でわかりやすくて、イメージしやすければしやすいほど
叶う。○○が欲しい、とか、あと○円稼ぎたい、とか・・・

でも、ほんとのほんとに自分の魂が喜ぶ方向に進みたいと思っているなら、
これらの個別具体的な願いが叶うことと、
魂の喜びが矛盾することの方が多かったりする(叶わない方が結果的に良かったりする)んですよね・・・

だから、小さな目標に向かって、ではなく、ものすごく大きなスパンで考えたときに、
自分の魂がほんとに目指してる方向で進みたい時、最近のノウハウである引き寄せの法則で言われてるような、あたかも「強く願いさえすればなんでも叶う」っていうのからははずれてしまうかもしれない。

魂がほんとに喜ぶことを明確に描くなんて、そんな簡単にできることじゃないからだ。
それじゃわざわざ人間として地球に修行しにきた意味がない。

ただ、菜食をしている人は、意志が強い、とか意志が強い人は菜食者が多いというのは、
その人の力が、その人のガンバリで大きくなってすごくなった
とかいうのではなく、体も心も自然な状態にあることで、まわりにある自然という大きなバックボーンと強く強く繋がれるようになるからではないだろうか。

つまり、その人の意志だけでなく、自然のパワーというか、自然がもっている法則がそのまま味方につくというか・・・

宗教などで、人間が意志で決めることは愚かだから、最終的にはエライ神様が決めることにゆだねなさい、みたいな教えが多いのも、このあたりの話かな、と思います。

つまり、どうあがこうが、自然の法則に反することは、いつか何かの形で淘汰されるよ、という・・・(それが今すぐに起こるわけではないけどね)

そして、菜食すればするほど、ちょっと願いが叶いやすいからって、目先の欲を満たそうなんてすると、ものすごいしっぺ返しがやってくる・・・そんな実感があります。

こんな感じでみんなが生きることができれば、法律なんかいらないんだけどな・・。

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ワンネスについて

先日の、自分にとっての矛盾・他者からみたときの矛盾の続きというわけではないけれど、
まだもやもやしていることがあるので、書くことで整理していきたいと思う。

それは、個人の意志の力と、自然のもつ力とのバランス、いや関わりについて。

私にとっては、東洋的な発想がなじむので、
八百万の神(そこらへんに落ちている石ころから、お天道様から、みーんな万物に神=宇宙の大いなる力は満ちている)という発想が好きだ。

そして同時に、マクロビオティックや、ベジタリアンの思想によくでてくる
you are what you eatという考え方もすごく実感としてわかる。

ジャンクなものや、不自然な物を食べたら、体調が悪くなったり、気持ちがざわざわしたり。
お肉大好きな人がたいてい攻撃的であるのは、食肉に加工されるときに、苦しみながら、大きな不安を抱えながら死んでいった、その想念が刻み込まれた肉やエキスを食べ、それに影響されるからだというのもよくわかる。

反面、お肉を食べているのにもかかわらず、穏やかな人もいる。
マクロビを厳格にやって育ったのに、心がいつも不安定で、不健康な人もいる。

この個人差は一体なんなんだろうか。

霊媒体質ではないけれど、まわりからの影響を受けやすい人、そうでない人がいる、
という形で結論をいってしまえばそれで終わりなんだろうか?

意志の力がまずは第一、というのはよくわかる。

食べ物からの影響だって、まずは本人の意志による選択により口に入り、それにより影響を受けたにしろ、結局それは本人のお望み通り=意志に基づいた結果だという言い方もできるかもしれない。

でも、意志さえあれば全てがうまくいく・・・それはどうなんだろうか。

ワンネスの発想から行けば、ジャンクなものを食べたり、不自然な化学物質を体に入れたり、そういうことをしても、意志をもって「私はこれらのものに影響を受けない」と決めさえすれば、それでOKというのは違う気がするのだ。

つまり、そういう不自然なものを無意識的であっても引き受けつつ、生きていくことには変わりはない。体に入ってきたこれらのものと自分は繋がっているのだから。

むしろ、そうやって、ほんとは存在しているのに、「意志」という名の自己暗示により、これらのものは存在しないように思い込むことが、体のどこかで癌をつくっていく過程に似ているのではないだろうかという思いだ。

そうか、書いているうちに気がついてきた。

ジャンクなものを食べたり、不自然な化学物質を体に入れる、と決めたその時点で、ほんとのほんとに、迷いはないのだろうか?という点で、意志の力が試されているのかもしれない。無意識のうちに、「いやだなぁ、体にいれたくないなぁ」とどこかで思っていたとしたら(それが顕在意識にあがっていなくても)結果、それらに影響されることになるのかもしれない。ここが難しいんですよね・・・・

意志。
普通、それは自分の顕在意識が決める内容のことだけを指す
と勘違いしがち。

でも。
アレルギーのような体の反応を含め、潜在意識の方が、顕在意識よりも、はるかに大きな大きな力を持っていて、普通それを簡単には操れないのだ。

そして、影響を受けてないつもりでも、潜在レベルでは必ず影響を受けている(その反応がでる時期がずれたり、あるいはわからないほど微細なレベルであらわれてる可能性あり)

そして、いくら意志の力があるとはいえ、宇宙の法則というか、自然の節理に反するような方向の意志を強くもったとしたら、その時は自然を押さえ込むかのように、思い通りになったとしても、あとで絶対違う形で歪みがでるのではないかと・・・。

だって、地球そのものがひとつの生命体だから。

なので、やっぱり私は、地球や宇宙の法則にさかわらない、菜食や、薬などの化学物質を使わないやり方を取るのがイチバン矛盾がないんじゃなかろうかと思うのだ。

というのが、今の時点での私の気づき。

あ、ではでは、先程の、お肉を食べたり不健康な生活をしていてもオーラがキラキラ輝いている人たちのことはどうなるのか?

これはまだ私にとって謎です。生まれ持っての人種がちがうのかもしれないとすら思う。生まれもった役割が違うのかもしれないし・・・
これについて何か実感としてわかったら、またいつか書こうと思います。

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鏡の法則のその先

よく、自己啓発やら、スピリチュアル実践系の本ででてくるのが、

「あなたの回りで起こる良いことも悪いことも、あなたの状態を鏡のように表している」

って話。

確かに、そういう面もある。

でも、ではホントに行いをよくして、善行に努めれば、回りから嫌なことや争いはホントに消えてなくなるんだろうか?

答えは、私はNOだと思っている。

いや、むしろ、どんどんその問題がエスカレートしていく気すらしている。

それはきっと、その人のレベルがあがって、もっともっと難しい問題にチャレンジして、それを乗り越えることで、さらに囚われから自由になるという、魂の成長のためのカリキュラムではないかと。。。

次々に厄介なことが起こって、友人にグチをこぼしていたら、一言、

「あのね、まわりに意地悪されたとか、嫌なことが起こった、とか、そこにとらわれてちゃ、違うの。

そういう出来事にぶつかった後、あなたがどう対応するか

これを試されているのよ。だから、意地悪とか嫌なことは起こって当たり前なの。そういうのにぶち当るからって、あなたがいけないんじゃない。その後の行動、気持ちの持ち方を試されているのよ」

って言われた。

ずーん。。。

そうですそうです。。。。

マクロビオティックでも、ホメオパシーでもなんでも、真の自分になるために、囚われを捨てることをはじめると、必ずみたくない自分に出会うことになる。

それは、外部からのきっかけを伴うことがとても多い。

だから・・・・一見悪いことのように思える出来事も、実は真の自分へ近づくチャンスなのです^ ^

そう思うと、子育てにしろなんにしろ、なるべく良い環境だけを揃えて、無菌状態で育てるのも善し悪しなのかもしれない、なぜなら、気づきのチャンスが減ることになるから・・・

って気もするのでした。ここは悩みどころだなぁ。。。

太極拳に、推手といって、人とペアを組んで気の交換みたいなことをするジャンルがあるそうな。私は詳しくないんですが、これをやっている友人の話を聞くにつけ、とてもホメオパシーに似ていると思った。

ホメオパシーのレメディは、ある意味一人の人間像みたいなもので、それが体に入ってくることで、「あ、自分は今こんなだったんだ」と気づける。

推手も、一人で地味に練習する太極拳から一歩進んで、相手がいることで、自分の状態を知るきっかけになる・・・・

その「相手」にあたるものに、完璧であってほしい、自分と似たタイプであって欲しい

と考えてしまいがちだけれど、それでは人生おもしろくない!!

なんのために生まれてきた?それは魂の成長と、真理の発見のためじゃないの?

だから、「そうねそうね」と同じ価値観の人を集めて安心して暮らすのも良いけど、

たたかれるのを承知で、外に飛び出してみること、それもたまにはいいかな、なんて思う今日この頃でした。

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乗り越える瞬間

小沢健二さんのうさぎ!について書いたときにも少し触れたけれど、
とにかく世の中は人と人を切り離して、怖がらせて、袋詰めの中の個別包装されたキャンディみたいにさせたいらしい。「これはこれ」「あれはあれ」

そうしたら、一部の人たちが大儲けできるからね。

でも。
子育てしてたら、否応なしに、横の繋がりをつけていく経験がたびたびでてくる。

普通は「別物」と扱われるAの出来事と、Bの出来事を繋げて考えるからこそ、答えが出る場面がたくさんでてくるのだ。そして、その体験は他の人に話したところでピンときてもらえないことも多い。

今回の体験は、「病気にかかりきる」
ことで、ほんとに子どもが成長するってこと。

以前の記事に、百日咳疑惑の話を書いたが、結局あれがなんだったのかはわかっていない。ただ、一晩だけ熱が少しでて、レメディのドロセラがヒットしたということ。

そして。それだけでは終わらなかった。

今まで、保育園の行きも帰りもおお泣きして大変だったのに、
あっさりと手を振って「ばいばーい。」
と言うようになったのだ。帰り迎えに行っても、泣いて抱きついてきたのに、嬉しそうにきゃーとかいいながら笑顔で走ってくるのだ。

たまたま、そういう時期と、こないだの体調不良が重なった、と分けて考えるのは簡単だ。でも私は、どうも先月からずっと続いていた
体調不良=彼が乗り越えるべき試練
に逃げず、抑圧せず向き合ったからこそ成長できたのではないかと。

どうもそんな気がしてならない。

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峻別

先日、息子と南インド料理を食べに行った。

前回行ったときとても美味しかったので2度目。

ターリーのセットにマサラドーサを付け加えるという変な注文をこちらがしたせいで、同じ料理が重なったらしく、コックさんが気をつかって、サダドーサを別のなんだか甘い円形のパンに替えてくれた。

が、これがバター大量使用だったらしい。

辛いメニューが多かったので、甘くて食べやすいこのパンをほとんど息子に食べさせた私。

帰宅後、息子の口から晩御飯大量噴出。その後夜中ずっと吐いてばかり。

そして半日遅れて私も翌日から盛大にお腹をこわす。

久々に体調を崩しました。

やっと今日、だいぶ体調が戻ってきました。

久々に玄米おかゆパンをつくって食べた。

今回のことであらためて思い知った。

今までの幻影にアットホームだとか安心できる空間を求めていないか、私?

確かにインド人たちが集まっている、あのアットホームな空気は和める。

でも、それに癒されてる場合じゃないのだ、どうやら。

もし、食べることが束の間の喜びしかもたらさず、自分は本当の欲求に応えていないということがわかったのなら、食べることが何の代わりになっているのかを見極める必要があります。その場合、あなたは感情のレベルや精神のレベルで何かを抑圧しており、それをからだのレベルで補おうとしているのです。実に多くの人が、感情的レベル、精神的レベルで実現できなかったことを肉体的レベルに移しかえようとするものです。

(リズ・ブルボー 〈からだ〉の声を聞きなさい 2より)

はあ、ぐさりときますねこのお言葉。

どこできいたか忘れましたが、スパイスを欲する人は日常生活に退屈していて刺激を求めている、パンがやめられない人は、人と人との触れ合いを求めている・・なのだとか。

はい、わたくしもそうです。。

純粋にスパイスやパンが食べたくて食べている場合じゃない時。

それが退屈な日常や、触れ合いに飢えていることへの代替手段になっているとしたら。

手っとり早い代替手段で癒されている場合じゃない。

それでは真の問題解決にはならないのだ。

今まで、なんとなくまわりに人がたくさんいて、でもその関係が真の個をもって、個を尊重しようという関係ではなかったことに気付いて。

だからって、急にそんな素晴らしい関係が、一秒で生まれるはずもない。

先日実家に電話したら、息子に「こっちに遊びにおいでね、カリントウあげるから」と母が言っていた。

息子を喜ばせようというのはわかる、でもそれが白砂糖たっぷりのカリントウであるということ。

やっぱり、このあたりは受け入れられないなぁ。。。

そうそう、受け入れられないのは「母」ではなくて、「白砂糖を与えようとすること」なんです。そこんとこがむずかしいですね。

なので、ちょっとここらでのんびりしつつ、新しい計画を夢見てみようかななんて。

過去の成功事例にこだわる左脳的発想から脱したい。

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思いやるためにはまず・・

思いやること。

口で言うのはほんとに簡単。

自分でコメント欄にかいておいて言うのもなんですが・・。

大好きなハーティーカウンセラー日記さんでも話題に挙げて下さって、さらに再考することになりました。

mixiの方で、お正月に息子を連れて人込みに出かけたら、あまりに疲れて、帰りの電車で手がつけられない騒ぎ方をした話を書いた。

親としては、電車の他の乗客にメイワク = 私が恥ずかしい、降りる駅が近いから、なんとしても降りないと帰れない・・・etcとかの理由が頭に渦巻き、お願いだから静まってくれと願ってしまう。

もしも父親(夫)がいたなら、どういうだろうか。

「こどもはのびのび育てなきゃ。それくらい元気があった方がいいよ」

とかいうだろうか。

はい、ピンポン正論です。

でも。

それってものすごく人事ってカンジ!!

母親がどうしてどーんとかまえていられないのか?

理由その1。

そういう包容力があって、泳がせてあげるようなスタンスになれないのは、そこに常に分刻みで日々の仕事の切り盛りがついてまわるからだ。

ゴミ出しは8時半までに出さないと間に合わない、家族の食べた食器がそのままになっていて、このままじゃお茶碗のゴハンが固まっちゃうetc。

(こんなとき、一言でも家族に「手伝って」といえる人は幸せです)

でもでも。

そういう「やらなきゃいけない仕事」

勝手に増やしているような気もする。

前も書いたか忘れましたが、海外では、食器とか洗濯物が山積みになっていても、お母さんと赤ちゃんがニコニコスキンシップをとっていて、だんなも怒ってないとかいう事例がけっこうあるとか。

(だんなに家事を手伝わせろ!というのは論点がずれるので避けます)

要は優先順位か。

どんなときもそれは自分で決めている、その事実をいつも忘れがちになる。

理由その2。

それはずばり嫉妬。

いつもいつも、まわりにメイワクにならないように、そればっかり教えられて、信じて実践。

「ワタシはこんなにガマンしてきたのに!!」

「子どもだけ、自分の好き勝手言ってズ・ル・イ。」

はい、これが本音だと思う。

けれど、自分の幼少時代を思い返して、今の自分と、当時の母がオーバーラップ。

こういう負の連鎖はどこかで断ち切らなきゃいけない。

次世代へのバトン、渡していいものと悪いものがある。

こんなに大人になった今でも、幼少期の刷り込み、トラウマは抜けないのだ。

江原さんが、上司になること・独立すること・子どもをもつこと、これらみんなは魂を鍛えることになります、とおっしゃっていたのを思い出す。

そして、私の恩師が「専門分野以外のことも学びなさい、じゃないとビンボーくさい人間になる」と言っていたこと、そして、大好きな星占いサイト筋トレの石井ゆかりさんも、インタビューで、「星占い以外のこともして、自分を高めたい」みたいなことを言っていたこと・・・

かっこよくないことがあったり、あるいは専門的に突き詰めていけば良いのに脱線して、無駄なことにエネルギーを注いだりすること(子育てもこれかな)は、かえってほんとの力に繋がっていく気がする。

どんなにスピリチュアルなことを口でいっていても、毎日の衣食住や、家族との軋轢があって、日々は続いていくのだ。それを避けての悟りはありえないと思う。

だから、電車一本遅れても、息子のペースを少しは考えて。

部屋が汚れていたって、それを今日片づけなくても、泣いてる子をかまってやるのが先。

大人げなく怒ったり騒いだり泣いたりしたっていい。

いっけん無駄に思えるようなことも、全ては繋がっている。

そうしているうちに、日々の「しなきゃいけない」呪縛から逃れて、自分がほんとうにしたいことへの時間の割きかたや、方法がみえてきたりするんじゃなかろうか・・・

まわりも自分も「ほんとに思いやる」こと。

それは他人が決めた「しなきゃいけない呪縛」から逃れることでもあるんだと思う。

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パラドックス

梅田さんのウェブ時代をゆく を読んでだいぶんたつのですが、そろそろ書きたくなってきたので書きます。

いつも、リアルとネットのバランスを考えるときに、恩師が授業で言っていたことを思い出します。

それは、

「こちら側と、あちら側の間に、深くて大きな池があるんだよ」

という話。

たしか、ソリストとして、ひとつの楽器を極めていくか、あるいは世界中の音楽に触れて見聞を広めるか、2つにひとつ、みたいな内容だった気が。

どちらの方法をとっても、究めていけば、到達するところは同じ。

ただ、どっちつかずになると、真ん中の大きな池で溺れてしまう、と。

そして、人生常に学んでいなさい、じゃないとびんぼくさい音楽家になるよ、と。

あれからもう何年もたって、私は結局どちらの道も選ばず、真ん中の池にはまっているのかそれとも、空高く飛んでいるのかは自分でもわからない。

ただ、実感として思うのは、なんでもありのネットで通用する「個」となるためには、ネット以外でのアナログな生活の充実度が鍵になるんだろうな、ということ。

(プログラム作ったりとか、一部の場合はあてはまらないけど)

パラドックスのようだけど。

ネットに住んで、次々おっかけるのもいいけれど、アナログな時間に戻って、なんにもしないことが、実は一番近道なのかもな、と思う今日この頃です。

そんなことを思い出したきっかけは・・

梨木香歩さんのからくりからくさの一節に、あかぎれは濡れた手をそのままにしておくからできるんだ、みたいなフレーズがあった。

今までずっと、手が荒れるのはマクロビでいう排出のせいだとか、いろいろ思ってあきらめていたけれど、

「ちゃんと手を拭く」

それだけで、なんと直ってしまったのでした。

改めて、日々の生活から得る知恵のすごさを知る。

そして、それに基づいた言葉の紡ぎだす重さを。

あまりにも地味で、見落としてしまいそうな片鱗。

まるでオーラをみるときの様ですが。

そう。そこにあるんだけど、見える人と見えない人がいる。

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ローズさんのセッション

エンパスでお馴染み、ローズさんの個人セッションに行ってきました。

スピリチュアルなことはとても大好きで、かなり詳しい友人もいるけれど、お金を払って本格的なプロの方にヒーリングしてもらうのは初めて。

場所もちゃんと考えられていて、気場の良い大阪城の西側、ホテルルーテル内でした。

お会いしたローズさんはイメージしていた通り、目がキラキラして、少し小柄で、とってもかわいらしくパワフルな方。

1時間の間、ずっと私のオーラを読んだ内容を話してくださったり、これからの家でできるアドバイスを下さったりしたのだけれど、なんせ英語が半分位しかわからない私。

もちろん通訳さんが入ってくださってるのだけど、ローズさんからでてるオーラとか醸し出すものから受け取りつつ、でも意味を理解すべく通訳さんに耳を傾けるのは難しかった・・・・つくづく、日頃から私は言葉と、それ以外のものを連動させて人と会ってるなぁ、ということに気づかされました。

なので、もう意味を理解しようというのは放り投げて、感覚だけでセッションを受けてました。

何かに似てる・・と思ったら、そう。

楽器の伴奏をするときとおんなじ感じでした。感覚を研ぎ澄ます代わりに、言葉がたどたどしくなる。感覚にぴったりくる言葉をみつけるのがもどかしい、そんな感じ。

セッション内容をMDにとってくださっていると安心したせいもあり、内容がほとんど記憶がなく(言葉が理解できてない部分もあり)ただただ一連の強烈な感覚として残っています。

(にしても、MDうちで聴けない・・だれかにダビングしてもらわねば。)

なかでも面白かったのが、私のオーラをみた(感じた)彼女が、静かにしなさいと声高にいわなくても半径5m以内くらいの人が私につられて落ち着いた感じに自然になるパワーをもっていて、その核はFUJISANみたいに澄んでいて、今はできてないけどそれを外部に表現することを望んでいるそうな。

多分日本人だからわかりやすく、ということで富士山とおっしゃったんだと思う。こんなところにまで彼女のサービス精神がありました。

途中でハーブティーを注ぎ足してくれたり、ほんとに優しい人でした。

私の思い癖である「嫌いな人や嫌いな場所、愛されなさそうな人に限って尽くしたり、エネルギーを注いでしまう」ことに関するエンティティを断ち切ってもらいました。

その作業中、彼女からきめ細かい澄んだオーラがばーっとでてくるのがよくわかりました。

江原さんもよく深く吸った息を吐き出してるシーンを目にしますが、ローズさんも私から吸い取った何かを深い息と一緒に吐き出してました。

その後、はじめは閉じていた第3のチャクラがここまで広がったよ、と部屋の隅まで歩いていって教えてくださったローズさん。

そして、最後はHUGをしてくださいました。

そして。

その場で実感は薄かったものの、家に帰ってから夜、びっくりしたことが。

なんと、自分のオーラの色が見えるようになりました。

以前からお風呂場で輪郭は見えていたけど、今回ははっきり黄色い色が指先からでてるのが見えました。

こつは部屋を電球だけにしてほの暗くしたところで見る。

蛍光灯じゃNG。

初めて自分のオーラを、「わー、綺麗!」と思った。

だから何の役にたつといわれたら困るけど。

わかりやすく表れた私の変化のひとつがこれ。

シンクロのように今読んでいる梅田望夫さんの新刊や、その他いろいろなものが、私が自立してやっていくことへの道しるべになっている。

その良いきっかけとなりました。

今すべきことは、ロールモデルを探して、実行していくこと。

ひとつひとつやっていこう、と1並びの日にひっそりと歩き始めました。

目標は来年からちょうど殺界に入るので、3年間でしっかり自分の畑を耕すこと。

やりかたはだいぶ固まってきました。

がんばります。

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気づいたところでほぼ解決

たいていの問題は、その問題の所在を気づいたところで、ほぼ解決したようなものだ、という話を聞いたことがある。

そして、もやもやしたものが活字なり言葉で言い表せれば、それでかなりの癒しになると。

(だから、子どもに言葉を1つ、しっかり深く学ばせるのが大切というのはよくわかる。言葉を学ぶことで自分の気持ちを整理でき、深く思考できるから)

子どもにエネルギーを使う日々の中、やはり自分ひとりの時間を持てることが少なくて、ちょっとそういう意味で充電不足な日々。

そして、今まで自分がすごいパワーで動いてきた、その原動力がまちがったものであったことに気づいた今、それではなく、本来の自分から生まれるエネルギーを源に動くことが果たしてできるのか?という不安。

この年になって、それはまだ未知の体験。

(正確には、息子をなんとしても無事に産むぞ!というあたりは私のほんとの気持ち、パワーを発揮した時ではあったけれど)

恋愛にしても、その人の目で世界がみえて楽しいとか、その人が喜ぶから嬉しいとか、相手軸でのエネルギーに翻弄されないで、果たしてもう一度恋愛ができるのか、とか。

加えて、子どものパパ役が欲しいあまり、他の部分をみないようにしてしまわないか、とか。

暑さのせいかもしれない。

急ぎすぎているだけかもしれない。

でも、なんだかイメージが湧かない。

こうなりたいというイメージが。

そして、まだ何もしていないような気に陥ってしまう。

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放任でも押し付けでもなく

1999年頃の状況と最近の星の配置が似通っているという話で思い出したのがヴァージン・スーサイズ

そして大好きなベジタリアンブロガーkawauso999さんの菜食者が子どもに魚のさばき方を教えるという記事。

いろいろ考えました。

以前もどこかで書いたけど、自分で殺したりつかまえたり、さばいたりできる人が肉食をするのはとても筋が通っていて、食べることに責任をもっているから、私はありだと思う。

ムスリムの人がお祭りで、家族で1頭子ヤギをさばき、感謝して頂くという話もそう。

ただ、私はできないから食べない。

私が食べるもののラインは、自分で料理できるか否かのような気がする。

無菌状態にしないとその「理想的な状態」がありえないとしたら、それはニセモノ。

でも、あまりにも夢を描けない、内面をみつめなおす余裕のないすさんだ生活にわざわざ身をおくのもどうかと思う。

つまり何をぐだぐだ悩んでいるかというと、息子によそで普通食をたべさせるか否かということ。

まだ自分の意志がしっかりしていない(ように勝手に親が思ってるだけかもしれない)息子に、何を食べさせるかは一応親が押し付けることになる。

菜食をすることで、食べるものの選択肢が減るという「押し付け」にはなる。

でも、もっと大きい視点でみると、

これは信じる人とそうでない人がいると思うが、肉を食べないことで、殺される動物達からでる負の波動を受けずにいられる。

そして「非自己」を受け入れずにすむことにもなる。

you are what you eatとはよく言ったもので、パックものばかり食べていると「閉じた」、回遊魚ばかり食べていると「団体行動の好きな」性格になるとか。

つまり、そういう食物からの影響を排除することは「本来の自分」を内に押さえ込まずに花開かせることができる。

でもその「本来の自分」を知るきっかけが、母が「押し付けた」菜食であっても良いのか。

うーん。

なんとなくまわりに影響されっぱなしのような変な自分と、確かにここに自分が生きている、という両方の感覚も体験できると、自己と他人との境界線を認識しやすくなるのかな?と、ついつい深くつっこみすぎて極端になりがちな射手座の母は悩むのでした。

まあ息子はてんびん座なので、その辺のバランス感覚は彼に学ぼう。

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連休を息子と過ごして

久々の連休、「え?今日もママいるの?」というように嬉しそうだった息子。

汗びっしょりになりながら、おもいっきり2人でおでかけしたり、昼寝したり。

この連休でかなり成長した気がします。

とってもやんちゃで大変な彼だけど、夜泣きはいまだかつて1度くらいしかしたことがない。

昼間騒いで発散しているからなのか、私が困るのを察してか、親孝行な息子である。

そんな感じで、幸せな子育てをしている私なのに、なぜいまだにああだこうだと思い悩みすぎてしまうのか。

占星術で、私の星の配置が、自己実現について深く考えすぎてしまう配置だと書いてあった。

そのままで十分に個性的なのにそれ以上何を求めるか、みたいなことが書かれていた。

確かに。

昨日晴明神社で引いたおみくじ。

こはいかに案じすますと思う身の みえたることはひとつだになし

禍福はあざなえる縄の如し。現在なんら得るところなしとはいえ明日もそうだとは決していえぬ。むしろ引っ込み思案に陥らぬ様勇を鼓して意義ある未来を招こうではないか。

ああ、これは晴明さんから頂いたメッセージのような気がします。

自分の子どもを慈しむことは、自分のインナーチャイルドを癒すことに繋がる。

息子がキラキラと輝くような笑顔でいられる手助けをすることは、実は私自身の癒しにつながるんだな、と思う今日この頃。

理想にはほど遠いけど、一歩ずつ。

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人生のさじ加減

前にもさじ加減の話を書いたけど、どれくらいが適当かを調整しながら味付けするのは簡単なようで、よく失敗する。

友人にとっても料理上手な人がいますが、彼女の言った一言が忘れられない。

「ああ、人生のさじ加減も同じくらいうまくできたらなぁ・・。」

**********************************

例の子パパに連絡をとってみた。

どうやらまた電話番号を変えた(というか2台目を持った)みたいでややこしい。

携帯代に何万も平気で使う彼。

私が普通に電話で対応し、でも、息子に会うには先に義務を果たしてからでしょ、と言ったらわかったようなわからないような返答。

そして、私が普通の口調で(怒ったりとかではなく)対応したことに気をよくしたのか、そのあとたてつづけに電話をかけまくってくる彼。

なんで、恋人でもないのに一日に何度も電話でしゃべらなあかんねん。

とか思いながら。

今更だが、いろいろ調べているとやっぱり、彼の行動は今で言うADHDとか自閉症とかのカテゴリにばっちり入る。

このカテゴリが一般的になったのは90年代に入ってからだから、今の大人の中には、小さい頃から問題児扱いはされたけれど、そのまま本人も回りも知らず大人になったケースも多いと思う。

そして、息子も少しその傾向があるなと最近思う。

私がインディゴチルドレン、息子がクリスタルチルドレンの世代でもあるからもちろん、治療と称して薬漬けにしたりする気はないし、息子らしさ(私らしさも含む)を生かせるようにしたい。

でも、だからといって人間として最低限のマナーやルールを守れないことの言い訳にはならない。

彼らにはそこのところをイヤというほどわかってもらうしかないな、と。

具体的には、今から1年間、毎月滞りなく養育費を払えば、子どもに一度会える。

それができなければ、どれだけごねてもNO。

これって、とっても甘い方だと思うんですが・・。でも彼にとってはとてもそれが難しい。

私なんかは1を聞いて10を知る、怒られる前に気配を察知して怒られないように先回りしてなんでもこなして、それで疲れ果てるタイプだから、こういうタイプほんっと頭に来るんです。

でも。

こういう人たちを相手にしなきゃいけなくなったわけはきっとある。

たぶん、エンパスである私が、無意識にその才能を使って今まで音楽やら、親の機嫌やら、その他もろもろをうまくこなしすぎて、いつのまにかそこに自分がなくなっていたこと。

「ここまではOK,ここからはNO」と言えない私。

いや、「言うタイミングをみつけられない」のが正しい。

相手の思考プロセスが手にとるようにわかるから、

「そうよね、そういう発想になるのもわかる」とか言ってる間に機会を逃し、事が重大化していく。

よく、熟年離婚の例で、旦那さんがありえないくらいワガママで、奥さんがしびれをきらして・・というパターンありますが、奥さんのようになりかかってました、私。

私のエンパスのタイプは、知的変容型なので、そういうことに陥りやすいのかもしれない。

でも、せっかくの才能を生かすためにはまず、土台をしっかりしなきゃいけない。

江原さんが「空港」に例えて話してらっしゃったのを思い出します。きっちり整備された空港がないと、飛行機は降りてこられない、と。

私の一番苦手なことは、身近な人、愛すべき人に「ここまではOK,ここからはNO」ということ。

今までの人間関係、全許容、全否定になりがちだった。

嫌われるのがこわくて全許容、でももうもてあますところまでいって全否定・・。

このドグマから抜けられない人多いんではないだろうか。

というわけで、今週はもう一件、「ここまではOK,ここからはNO」を伝えなきゃいけない人がいます。

大好きな友人に。

つらいけど、それをしないことは自分を大事にしないことになるから、

やります。

エンパシーについて

インディゴ・クリスタルチルドレン

注意欠陥・多動性障害(ADHD)

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オーラ見たいですか?

スピ関係の話、怪しいとか思ってる人ごめんなさい。

説得力ない私ですがちょっと体験談を。

以前ちょこっと書いたっきりしばらく書いていなかったんですが、私最近またオーラがはっきり見えるようになってきました・・。

薄暗いところで指を近づけたり遠ざけたりして、すーっと白い光が残る感じではずっとみえていたんですが、急に、ふっとお風呂で鏡をみたら自分と息子の頭のまわりの白い第1層がみえるようになっていました。

おもしろいもので、ど近眼なのにメガネをはずしたほうがよくみえる。

これは植物のオーラがみえる友人も同じこと言ってます。

そして、蛍光灯のもとではNG(だからお風呂場の白熱球のもとでみえやすいのかも)

どうやら、通常の視力とは違う形で情報を得ているんだろうな。

最近飲んでいるバッチフラワーレメディの影響もあるのかも。

以前からみみねっとさんのサイトを拝見していて、みえるということは大変なんだろうな、と思っていたら、さらにすごいブログを発見。

オーラが見える息子さんと霊が見えるお嬢さんをもつお母さんauthor、yokoさんのブログ。

これだけ精神世界関係の話が一般化したとはいえ、毎日の生活がどれだけ大変か、想像できる域をちょっと越えてしまった。

もちろんそれだけ喜びも大きいかもしれない。

でも、もし身近な存在だったとしたら・・。

もしかしたら、見えないほうが楽に楽しく人生送れるのかな?なんて思ってしまう。

物体移動の話がyokoさんのブログにかかれていて(ガンダムのプラモが消える)、私も一回だけそういう体験があったのを思い出した。

小学校5年生の自然教室。

YMCAのおねえさん、おにいさんにいっぱい絵やらコメントやら書いてもらったノートがあった。

最後の帰りのバス、私は眠りこけてしまった。

起きて、バスを降りるときにノートがないことに気づく私。

おにいさんいわく、「え、あわぽんのジャージのところにはさんでおいたで」と。

でも、ない。

どこをさがしてもない。

そして、結局でてこなかった。

隣に座ってたヨクサルちゃん、覚えてますか?

最近昔の夢とかよくみるので、つい思い出してしまいました。

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最近思うこと

ホメオパシーやマクロビオティックでよく使われる言葉に、「毒だし」がある。

確かに、これらのやり方で、「毒」は排出できると思う。

でも。

その「毒」とはそもそもなんなのか。どこからきたのか。

ホメやマクロの力を借りて、その時は一瞬浄化されても、「毒」の根源が自分自身の中にあるとしたら?

時間がたったらまた、元の木阿弥になってしまう。

物質レベルの話でいえば、それが食習慣によるもの、タバコとかお酒とかだったりする。

精神的なレベルの話をすると、それはある種の思考パターンから抜けられない自分かも。

ほんとの自分らしくやっていこう、として動き始めると、なぜかセットになって必ず私の一番会いたくない人から連絡がやってくる。(まあ、子パパなんだけど。)

とっても粘着体質な彼。

対症療法的にすれば、例えば携帯の電話番号を変えたり、mixiならアク禁にしたり、しっかり拒絶することだと思う。

でも、それじゃ西洋医学方式。

悪い部分を切ったり、薬で押さえ込む。

でもおおもとはそのまま。

何も解決しない。

でも・・・・・・

会えば彼のものすごく自分勝手で、自分だけが被害者みたいなペースにまきこまれそうになる、それが私の怖れていること。

このまま会わずにだらだらとしてちゃいけないのはわかってる。

昔の私と違うのもわかってる。

でも、面と向かって毅然とした態度をとる勇気がまだないなぁ・・。

そんなわけで、まだ未解決。

同毒療法といえば、rockやpankなど、ああいったうるさくて金属チックな音楽も、ある意味そうだと思う。

都会生活のストレスをいっぱい受けた人たちが、その同じ波動をもつ音楽を聴く、演奏することで波を打ち消しあい、癒される。

でも、ストレスがない生活をしている人にとって、rockなどはむしろただの毒でしかないことも。

下手したら、プルーピングになる(プルーピングとは、健康な人がホメオパシーのレメディを飲むと、場合によってはそのレメディが対応している病気と同じ症状が現れる)。

なので・・・

逃げない生き方を選んだ以上、音楽とかではどうやら私、ストレス発散にはならないみたい。

でもまだその代わりに、どうしたらよいかわからないで、います。

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手放せない癖

繰り返し見る夢がある。

それは、ピアノを弾いている、あるいは弾くことになっているんだけど、

「暗譜ができてない!」「練習してない!」

のに試験あるいは発表会だー、という夢。

ジョナサンケイナーの夢占いのところに、こういうのは完璧主義過ぎる人が見る夢だと。

今まで、あせりすぎてるときに見るんだろうな、としか思ってなかった。

そうそう、完璧主義。

完璧主義は良いこともある。仕事を丁寧に仕上げたり、納期を守ったり。

でも。

「完璧にできないんならしない」「失敗するならやらない方がまし」

的な発想になりだしたら要注意。

そういう思い癖、もうすっかり自分の生活から縁がなくなったと思っていたけど、どうやらまだまだのようです。

もひとつ思うのが、この完璧主義、自分にとどまらず周囲に向くともっとタチが悪い。

特にこどもに対して。

「期待通りに育って欲しい」ってやつ。

今教育ブームで、私と同世代の子育て親が、熱心に実践しているの、なんだかなーと思う。

最近、知り合いの人から、娘さんが初めて彼氏ができたのを知ったお母さんが寝込んだという話をきいた。

なんで、寝込むのよ。

今放映中の韓国ドラマ、春のワルツ(実は韓国ドラマ結構みてるんです)。

天才ピアニストに息子を育て上げた母が、息子の好きな女性を忌み嫌う。

たぶん、息子をとられたくない一心で。

これをみていたうちの母も「あー。気持ちわかるなぁ」と。

そのくせ、ピアニストの子が「自分の好きな人は自分で決める」とか言って、行動にでるのをみて、「かっこいいなー」とも。

あの、矛盾してるんですが・・。

家庭という巣は、確かに雛が大きくなるまでは心地よい、確かな場でなきゃいけない。

でもだからといって、巣が気になって自由に羽ばたけないことになるのなら、本末転倒ではなかろうか。

難しい問題ですけど。

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関連付けって

最近のうちの息子をみていると、関連付けがブームのようで、

新聞で競馬の写真をみつけると、「んま~!」と叫んで、馬のついている絵本を持ってきます。そして、CDプレーヤを指差して、おんまはみんな♪の歌をかけろ、と言います。さらに、自分の背中に手を回して、お馬さんごっこをしろ!と催促します。

馬に限らず、彼の日常はこうやって過ぎていきます。

自分なりに体系だてて、世の中を理解する方法が、関連付け。

洋服についている蝶の刺繍を指して、その後飛んでいる蝶も指差して「ちょちょ!」と言った子どもに、まさか「それはお洋服の模様でしょ。だいたいあっちはモンシロチョウだし、別物よ。一緒じゃないのっ!」と起こったりする大人はいないと思う。

でも。

実生活はそんなことの繰り返しの気が。

何かと何かを結びつけて、こうしたらいいんじゃない?という話になると、

たいてい

「それはそれ、あれはあれ」

そうしているうちに、どんどん本質から遠ざかっていく。

私がかなりいろんなことに手を出しすぎる極端なタチなのはわかっているけど、あまりにも細分化すると行き詰まるのはあたりまえ。そこについ、口出しをしたくなる。

そんなときにたいてい、「関係ないから結びつけるな」と怒られる。

これは学生のときからずっと思っていた。

なんで、学部によって受けられる授業が限られるのだろう。

興味があるやつは、聴講くらい好きにさせて欲しかったな、と。

その「関係ないやつは口出すな」「口出すならここの組織でえらくなってからにしろ」的な発想って、まんま談合社会。

そのルールに参加してる限り、確かに村八分にもされず、一応何回かに一度は仕事も回ってくる。

でも、でも、それでは、いろんな可能性がつぶされているよ~!!と思ってしまう。

ロストジェネレーションとか言われる世代の私は、ついでに時代のせいにもして、もうそういった1.0的な世界で認められるようにがんばることは、たぶんしない。

いや、できない。

でも食べていかなくちゃいけない。

そこのバランスの難しさよ。

昨日友人から、

「本質はカテゴライズできないからこそ命の輝きそのものであり&中心軸」だからこそ取り出して見せることはできないし、取り出そうとした時点で本質足りえず、別物にすり替わる。あわぽんさんも、artなどの形を借りて本質を伝えたいと思っても、99%はお互い別のものを見て勝手に満足しあうすれ違いになる可能性が大きい。それをわかった上で、あと1%に賭けて、すべて覚悟の上でやるのであれば、それは手段ではなく方便の域に達するお思うよ、頑張って

というメールをもらった。

わかった。

私の進むべき道は。

居心地の良い場所は結局自分でつくるしかない。

’この道は、ある名前で呼ばれています。
堂々と胸を張って進むことができる、
迷うことも足を取られることもない、広いしっかりした道。
その名前は、「王道」です。(2007/6/18~ 石井ゆかり 筋トレより)’

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フューチャリスト宣言

梅田さんの本は大好き。

今回の新刊はフューチャリスト宣言

ウェブ進化論の時と少し進んだな、と思ったのは、リアル世界とウェブ世界の折り合いのつけ方についてはやはり、それぞれが考えなきゃいけない、ということに少し触れてあったこと。

前は、ネットはただただすばらしい!的な感じが強かったのに、今回は割と冷静な気がしたのは私だけか?

スピリチュアルの好きな人ならよく知っている「グラウンディング」。

霊的世界を拡大しすぎると、心と体のバランスが悪くなってくるから、たとえばヨガをしたり、菜食気味の人もチョコレートとか根菜を食べたりしましょう、ってやつ。

ネットの世界に置き換えても同じ。

最終的には「それであなたはリアル世界でどう生きるの」という話に。

リアル世界で核をもつことが結局ネットの世界でも鍵になる。

それが実名でブログを書いたり、どんどんオープンにしていくということでもあるのだけど。

話は変わって、ピアノをやっていたころずっと、小学生頃から思っていたこと、それは

将来電子ピアノが生ピアノみたいに、もっと表現力がでてくるから、それには生ピアノがちゃーんと弾ける人じゃないと使いこなせない時代がくる、と。

私は結局、あまりに変なやり方で音楽を突き詰めすぎてしまって、大学卒業後にぱったりとピアノを弾かなくなったけど。

ある意味現在の私は「ギャップイヤー」とか「心のニート」的な状態で、音楽からも権威のある団体に所属することもなく、いっぱい稼ぐこともなく、ただただ考える時間はたっぷりあるという感じで。

家に帰ればチビ(1歳半)と遊んで。おっぱいをあげて。

あらいものや料理や、そうじや縫い物といった家事。

単調な作業の繰り返しは生き生きとした思考を産む。

一目づつ淡々と縫っていく針の運指や、カチャカチャとした皿を洗う感覚。

そういった作業は心をどんどん軽くする。

こういったことに時間を取られるのが損、とかマイナスイメージをもつ人多いと思うけれど、私はこれができることはすごい特権だと思う。

わざわざヨガの教室にいかなくても日々日常の中で瞑想に近い状態になれるから。

そういった生活パターンになりやすい女性は、日々すこしずつ「ギャップイヤー」があるような感じ。

なので、頭の中がすっきり整理されて、男の人みたいに体力勝負でいらない余計な仕事までがんがんすることなんて、しない。

でも。

大学を卒業してからも1年、なぜか法律をがんがん勉強することで、人生の大切なことから目をそらそうとしていたので、ほんとの意味で自由な思考に自分をもっていけるようになってからまだ3年くらい。

ついでに菜食になったのもそれくらい。

まだまだ今までの加速をつけすぎた生き方のつけは返せていない感じ。

「ギャップイヤー」を過ぎたら、きっと何か次のステップが見つかる気がします。

でもまだあと3年くらいは漂っている気がします。

なぜかというと、来年から3年殺界プラスサターンリターンだから。

それに息子も手が離れるだろうし。

私も30になるころ、私の人生が始まるんだと思っています。

梅田さん、ちょっと変な切り口の感想でしたがどうでしょう?なーんてね。

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こうぼっち

今月の天然生活に、中島デコさんのページがあって、そこにこうぼっちという自家製天然酵母のつくりかたが載っていた。

レーズンだけでつくるより、いろんな野菜、玄米ごはんをもとにつくるため、種が元気でパワフルなんだとか。

一度作ってみたいと思っていたら、その本家、楽健寺の山内幸子さんの本、ふたりヨーガ楽健法 をみつけました。

足を使って体をもみほぐして健康になりましょう、というのが主なのですが、施術の方法だけにとどまらず、仏教やアーユルヴェーダ、菜食の話まで幅広いエッセンスがもりこまれた内容。

ちなみにこの楽健寺パン工房(?)のある東大阪、私が息子を出産した助産院の近くで、とっても良い感じの所です。なんだか東大阪に住みたくなってきた・・・

・・まとまりのない内容になってきましたが、やっぱり食べることと生きる意味を考えること、そして住む場所、しごとなどは全部リンクしていて、切り離せないな、ということを山内さんの本を読んで強く思いました。

半農半Xが私たちの世代に流行っているというけれど、私も半分適職、半分天職ができるような体制をつくっていかなくちゃ!

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またまた自然農法

以前書いた自然農法のおすすめ本よりさらに本家を発見。

いまさらですが・・自然農法 わら一本の革命が気になります。

以前に友人からちらっとこの話を聞いていたのですが、そのときにはぴんとこなくて。

私の働いている会社は緑化をウリにしていたりするのですが、最近その手法についてとっても考えてしまいます。

同僚が、「砂漠を緑にする方法をおもいついたら儲かる」とか騒いでいましたが、福岡さんの提唱する方法(泥団子の中に100種ほどの種をいれ、ばらまく)をもし私が薦めても、はたして信じてくれるやら・・

毎日ごはんを食べて、社会生活を送って。

子どもが大きくなったら学費を稼いで良い学校に行かせて。

福岡さんいわく人間は「自作自演」。

こうせねばならないという枠から未だ抜けきれない私。

抜けるのがこわかったりもするんだけど。

このところ、私の気持ちが向いている方向がことごとく社会生活から離れていく願いばかりで、自分に手を焼いています。

石井ゆかりさんの筋トレという星占いのサイト、ジョナサンケイナーと同じくらいお気に入りな今日この頃。

水星逆行も9日で終了、さて私は次にどこへ向かいたいのでしょうか・・とひとりつぶやいてしまいます。

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ほんとにマクロな視点とは(2)

自然農法の発想からいくと、いくら無農薬・有機であってもアイガモ農法ははずれることになる。

雑草も役割があって、取り除くものではないから。

たとえば、土の乾燥を防いでくれたり、土の栄養になったり・・。

そして、もうひとつおもしろいのが、撹乱。

自然界では、特に日本は地震が多かったり、水害など様々な災害が頻繁におこる。

こういった一見マイナスに見える出来事が、土地にとっては実は大きなプラスになるらしい。

「たいへんだ!もとの状態になるようがんばらなくっちゃ」

というミミズやらいろんな微生物、その他の生命が危機にさらされることによって眠っていた生命力がよびおこされ、肥沃な土地を産む。

自然農法ではこれをトラクターなどでわざと土を掘り起こしたりして疑似「撹乱」状態をつくるらしい。

人生にも、受験の失敗とか失恋とか、病気とか失業とか、いっぱい試練がやってくる。

それも「撹乱」みたいなもので、そういった刺激のおかげで人生が充実し、成長できるのかもしれない。

水星の逆行は、明日15日から3月9日まで。

いろんなことがうまくいかなかったり停滞したりする時期となるだろうけど、あせらず急がずおこらずおごらず腐らず(愛多く)、行きたいと思っています。

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ほんとにマクロな視点とは(1)

またまた、水星逆行の時期がやってきました。

いろんなことがはかどらないけれど、ジョナサンケイナーさんによると「この世に遅延がなかったら、いくつかの出来事は機が熟す前に起こってしまう。せっかちをやめて今の計画を見直すチャンス」だそうです(一部要約)

で、今日読んだ本は村田知章さんの自然農法を始めましたです。

化学肥料やら農薬が体に悪い、自然に悪いのは百も承知。

この本を読んでさらに目から鱗だったのは、天然農薬もほんとはNGだということ。

理由は、たとえばよく用いられる木酢液も、うまく醸造しないとタールなどの毒物が発生してしまうということに加え、そもそも自然界に「害」虫は存在しないという発想。

虫が大量発生して作物が全滅するとしたら、それはそこの自然のバランスが乱れているためであって、まずはそこからなおそう、という考え。

大体、そのバランスを乱すのは人間のまいた化学肥料とか農薬だったりするんです。

これって、人間社会でもそうですよね?

アメリカみたいにテロをするやつが悪いと決めつけたり、一部の国を悪者扱いして、「やっつけてしまえばいい」的発想では何も解決しない。

だって、アメリカが化学肥料や農薬を畑にまき続けるような政治をしている限り、害虫は発生するに決まってる。自ら育つ環境を整えているようなものだから。

話は変わって、太極拳は、あんなにとろとろしてるけど、どんな武術より強い。絶対負けない。

理由は、戦わない(争わない)から。

私が子パパに腹を立て、あんなやつなんかにもう絶対に会わないと騒いでいたときに、友人が一言、「どんな人間関係も切るな。お互いを生かす道が絶対にある。そして、そうやっていればそのうち自然に合わない関係は解消されていく。ストーカー問題は、無理に関係を切ろうとするから起こる」と。

害虫と人間をいっしょくたに説明するたとえもどうかと思いますが、でも本質はここだと思う。

この世に不要な存在はなくて、同時に自分に起こる出来事にも無駄は一つもなく、必然。

私たちにできることは、そこから学びを得ること。

自分にとって不必要なものを切り捨てる人生。切り捨てる社会。

効率が良いように思えるけれど、それといっしょに私たちはたぶん大切ななにかを一緒に失ってる。

デジタルの音楽プレーヤが高周波数帯をカットしたデータをつくっていることで、たしかに恩恵をうけてます、私も。

でもレコードで聴くときほど、あの豊かな心地よさにたゆたうことはできない。

などなど・・・。

自然農法のことをあまり知らなかった私のイメージは、「なんだか草ぼうぼうで怪しい畑」ぐらいでしかなかったのですが、この本のおかげでかなり理解が深まりました。

ついでにいろいろ考えてしまいました。

ちなみに、我が家の玄米、自然農法センターさんのものです。

知らずに食べてましたが確かに美味しい。

そして、この話題まだ次回に続きます。

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水星逆行。

ちょっとまえから、これから3週間コミュニケーションの星、水星が逆行します。

このおかげで、この間、通信や契約事などが混乱したり停滞したりします。

レジの仕事をしていたときは、いつもこの間おつりをまちがえたり収支が合わなかったりという嫌な思い出があります。

なので、今回のMNP問題、あと1月くらいしないと落ち着かないんだろうな・・と思います。

私は長いsoftbank userですが、機種変更しようと思ったけど思いとどまっています。

なぜかというと、例のプランに変更するとちょっと月々の料金が上がりそうなので。

ただ、負担金ほぼゼロで新機種にできるのは魅力なんだけどな。

それが孫さんの策略かしら(笑)

ともかく、大事な契約とかはこの時期にするとあとあともめたりするので、延期できる人は逆行がおさまってからにしたほうがいいと思います。

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心と体の不思議な関係。

先日も、水は答えを知っているという本について触れましたが、やはり賛否両論あるようで、鏡リュウジさんのブログでも、香山リカさん共々、スピリチュアルな世界に抵抗がなくなっている若者が増えていることにびっくりされています。

これってきっと、自転車に乗れる人が世界でたった一人しかいない場合と、100万人いる場合とでは、新たに乗り方を習得する人の苦労が全然違う~後者の方がとっても早く習得できる~という話と同じかな。

いわゆる「場の力」ですね。

霊能者や占い師がテレビのゴールデンタイムに出演して番組が成り立つなんてちょっと前まではありえなかった。

彼らのパワーのおかげか、それとも一般市民にスピリチュアルな世界に関心がある人が増えたのが原因か、どちらが先かわからないけれど、昔なら「非科学的」と一笑にふされたような話が、普通にかわされるようになっている。すごい時代です。

で、最近見つけておもしろかったのが、

「共鳴(共通するもの同志が響き合って引き付け合う)」という現象が、元素と人間の感情との間で起きるという話。

 なんでも、「怒り」の波動と「鉛」の波動

       「不安や心配」の波動と「カドミウム」の波動

       「いらだち」の波動と「水銀」の波動

       「悲しみ、寂しさ」の波動と「アルミニウム」の波動とが共鳴するとか。

(「何のためにあなたは生きているのですか」 大田 篤 KKロングセラーズ  より)

つまり、同じ食生活をしていても、その人その人の心の持ち方次第で、体内に有害物質をためやすい人とそうでない人がでてくるということみたいです。

健康にいいから、という理由で食べ物に気を遣い、美味しくないのに無理に食べたりする人がいるけれど、ほんとうは食事って、そういうものじゃない。

なので、健康によいとされる食べ物が美味しく感じられないときは、その原因をよく考えるのが先だと思います。

怒りや心配や不安があるなら、何に対して自分がそう思っているのかをまず突き止める。そうしたらそれだけで、かなり楽になったりします。

そうやって、こころの膿をためこまないようにすることが、一番健康にハッピーに暮らすコツなんだろうと思う。

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グラウンディング。

よく風水の本とかに、3階以上は神様の通る道だから、ほんとは住まないほうがいい、とか書いてあります。

そんなこといったって、日本の住宅事情じゃそうも行きませんが。

でも私の経験上、高層階に長い時間いると、なんか落ち着かなくなってきます。

重力が足りない!という感じでしょうか。

短期間、マンションの9階に住んだこともありますが、この時も地面が恋しかったです。

この欲求についてわかりやすくかいてあったのがこの本。

エンパシー 共感力のスイッチをオン/オフしよう

メインテーマは別のことなんですが、私なりに勝手に要約すると、人間は心とからだ両方でひとつなのだから、こころのエネルギーばかり使いすぎると、からだの方が「こっちも忘れんといてや」という信号を送ってくる。

それが体の不調につながったりすることもある。

そんなときに、「グラウンディング」~地球の中心に根を張るようなイメージ~を実践すると、バランスがとれていいみたい。

ちなみに、グラウンディングの方法、いろいろ書いてあります。

・出産

・太極拳をする

・鏡を見る

・大地にねそべる            ・・・・・など。

私の好きな方法はやっぱり家事とか仕事とかに没頭することかな。

手や体を淡々と動かして、頭からっぽにするの、大好き。

作家さんたちもよく、普段からグラウンディングみたいなことする、っておっしゃってる人けっこういる。

村上春樹さんは、定期的にジムに通ってるみたいだし、群ようこさんは、編み物好きって言ってたし。

ちなみに肉を食べること、とも書いてありますが、これは私はできません。

菜食主義の人は肉食べない分、普通食の人よりも、しっかりグラウンディングするように気を付けた方がいい、ってことなんだろうな、きっと。

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不思議な天罰。

わりといろんな仕事場で働いてきましたが、仕事を変わるたびにその職場では下っ端になります。

上司といえども勤務態度が許せないなあ・・と思うこともしばしばでてきますが、なんせいろいろ言える身分ではありません。

そんな時・・私の思っていることを、他のえらい人が代わりに言ってくれます。

とある劇場の売店で働いていた頃、お客様にめちゃ横柄に接していた同僚がいて、それはだめだよなぁ・・と思っていたら、その後に常連客にものすごくおこられていた(泣かされるくらい)

今の職場でも、書類がとっても読みにくい体裁になっているのに変えようとすると怒るので、そのままにしていたら、取引先から「読みやすく書きかえろ」と電話がかかってきたり。

なんだか不思議。

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雲消しゲーム。

きのうの雷雨で、自宅はすごいことになっていたらしい。

雷が落ちると同時に、だれもいないのにインターホンが「ピーンポーン」と鳴りまくり、リモコン式の蛍光灯が、スイッチが勝手に入り、しまいには電話とパソコンが壊れました。

私はノートパソコンなのでコード抜いてて大丈夫でしたが、父のがやられて、電源はいらないみたい。

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージと言う本のなかに、空の雲をじーっとみつめて、「消えろ!」と念じると消える、と書いてあるのを読んだのが約3年前。

それから、暇なときにはけっこうこれで遊びます。

ほんとに消えます!嘘だと思うならおためしあれ。

こつは、動いている乗り物(電車とか車)の中からやらない、雲の多い日にはやらない、なるべく小さいかたまりをねらう、ということ。

水蒸気というか水分は、気にとてもよく反応するみたい。

今回の雷雨も、関西に住んでる人たちの念が雲になったのかも!なーんて思ってしまいます。

でもあのひどい雷雨のおかげで今日はいい天気で涼しい。

心地よさがくっきりと実感できる気がします。

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オーラみえますか?

私の大好きなterri weifenbachの写真集をオーラのみえる友達にみせたら、「私はこんな風に世界がみえてるんよ」といっていた。

私はくらーいところで手をかざしたら、ぼうっと白い輪郭らしきものがみえたり、あとは木のはっぱのまわりがぼんやりしているのがみえたり、といった感じであまりはっきりとは見えません。

どっちかというと、みえるというより感じる方なので、具体的に説明するのは難しいんだけど。

だからどやねん、とつっこまれそうですが、オーラをはじめ気配というか、「目にはみえないけど確かにあるもの」の存在が、身近に感じてしまう今日この頃です。

小さい子と過ごしてるからか、それとも菜食のせいなのか・・?

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